よろしくお願いします。きっかけは2019年から2020年にかけて受講した「Jリーグ・アカデミーマネージメントコース(JAM)」でした。そこで元ウェストハムのテリー・ウエストリー氏から、「イングランドがなぜ強くなったのか」という講義を受けたんです。
── テリー氏の講義で、どのような具体的なエピソードがあったのでしょうか。
驚いたのは、オンライン講義に当時21歳のデクラン・ライス選手(現イングランド代表)がサプライズで登場したことです。彼は、「今の自分があるのは、育成年代にテリーと取り組んだIDPがあったからだ」と断言したのです。テリーはこう言いました。「IDPは、指導者のハードワークと情熱、そしてスタッフ同士の連携によって実現できる。潤沢な資金がないクラブでも取り組んでいくことができる」と。我々ロアッソ熊本も決して潤沢なクラブではありません。しかし、「世界に羽ばたく選手の育成」をビジョンに掲げています。であれば、我々ができる最大の武器は「個別に徹底して向き合うこと」だ、と確信したのです。
2020年のパンデミックで試合がなくなった時期は、選手もチームもモチベーションの維持が難しい時期でした。そのような状況だからこそ、しっかり個別に目標を持たせることが大切だと。それがIDPの導入、一人ひとりに目を向ける絶好のタイミングでもありました。
以前も「この選手はプロになれる可能性がある」といった話は指導者間でしていました。しかし、それはあくまで「感覚的」なものであり、クラブとして言語化・可視化されておらず、アカデミースタッフ間で共有されにくい状況だったのです。
── コーチの頭の中にはあっても、それがクラブ全体の共通言語にはなっていなかったと。
そうです。そこで我々は「フォーコーナーモデル」をベースに、各年代で選手に求められる要素をポジションごとに明確にしました。一人の選手を一人の担当コーチだけに任せるのではなく、他カテゴリーコーチ、ダイレクター、普及コーチ、フィジカルコーチら多くのスタッフで関わる「マルチディシプリナリー・アプローチ」も意識しました。ジュニアユースでは、チームビルディング(ASEプログラム)、また、農業体験(田植え)を取り入れ、ピッチ外での「多面的な人間性」をスタッフ全員で掴み、アプローチすることも進めています。
── 担当コーチ一人ではなく、クラブ全体で選手を育てる体制ですね。
はい。今では、私自身もコーチも、カテゴリーの垣根を越えて各選手の目標や課題をiDEPで把握しています。
クラブとしてIDPを本格導入したのは2020年です。2025シーズンまでは紙で運用し、スタッフが後からPCへ入力していました。そして2026年からは、IDEPを導入しています。
ただ、現在でもジュニア年代や中学1年生の初期段階では、あえて「アナログの紙」からスタートしています。道脇豊選手や神代慶人選手も、13〜14歳の頃は紙のシートに自分の強みや課題をびっしりと手書きしていました。
── まずは自分の手で書かせるところからスタートする。
自分の手で書くことは、深い内省を促します。また、文字の丁寧さや記述内容を見ると、その選手が自分の成長にどれだけ真剣に向き合っているのか、あるいは投げやりになっているのかが見えてきます。そこに気付くことで、新たな「対話」が生まれるのです。この「書かせること」と「対話すること」のプロセスが、選手の主体性を育む入り口になります。
── そのアナログでの深い内省を、iDEPというデジタルツールへ落とし込んでいくのですね。
成長に応じてデジタルツール「iDEP」へ移行することで、過去のデータとの比較や、動画を用いた振り返りがスムーズになります。現在プロとして活躍する選手たちも、目標や課題をしっかりと書き続けてきました。その積み重ねが、現在の活躍を支える基盤になっています。
私たちは年に最低2回、IDP・iDEPのデータをもとに、選手・保護者・スタッフの三者による「オープンフィードバック(面談)」を実施しています。
── 具体的に、どのような変化がありましたか?
特にジュニアユース年代は身体の成長に個人差が大きく、実力はあってもサイズの関係で、試合の中で思うようなパフォーマンスを発揮できない、ストレッチ(飛び級)できない選手もいます。 「今は身体の成長を待つ時期ですが、その分、今のうちにこの技術を磨いておけば、成長が追いついた時に爆発的に伸びます」と、見通しを共有します。クラブが何を評価し、どう育てようとしているかをオープンにすることで、保護者の方は「今、うちの子に必要な準備」を理解し、信頼関係が飛躍的に深まったと感じています。
── 優秀な選手が上のカテゴリーに挑戦する「飛び級」についても、独自の運用をされていますね。
はい、私たちは「ストレッチ」と呼んでいます。上の年代でプレーさせる(ストレッチ)のは大きな成長機会ですが、同時に壁にぶつかるリスクもあります。もし強度が合わずに自信を失いそうなら、一度元のカテゴリーに戻し、そこで再び成功体験を積ませます。
── 一般的には「カテゴリーが下がった」とネガティブに捉えられがちですが、そうではないと。
決して「落とした」のではありません。「次に進むためのステップ」だと、選手本人や保護者とIDPを通じて共通認識を持っています。世界最高のMFの一人であるルカ・モドリッチ選手も晩成型の選手 で、若い頃は我慢と準備の時期がありました。その選手にとっての最適な負荷とタイミングを見極めるために、IDP・ iDEPでの継続的な記録が欠かせないのです。
ロアッソ熊本では、全選手の学校の通知表をスタッフで把握しています。これは成績の良し悪しを見るためではなく、「一人の人間としての特性」を深く知るためです。
──成績表から、サッカーに繋がる、どのようなヒントが得られるのでしょうか。
私が注目するのは、先生が書く「所見欄」「教科の観点項目」 などです。例えば「傾聴力が課題」と書かれている子には、話をわかりやすく伝えるようにコーチも気をつけることができる。通知表の評価が高い項目は、サッカーでも大きな武器になる資質です。サッカーの技術(ピッチ内)と学校での生活(ピッチ外)を結びつけることで、より本質的なサポートが可能になるのです。
私たちが最終的に目指すのは、選手が「オーナーシップ(自立・主体性)」を持つことです。自ら課題に気づき、計画を立て、自らの意志で成長し続ける。そして、自ら目標を設定し、自分自身に矢印を向けて取り組める人間になってほしいと思っています。
──それはサッカー選手としてだけでなく、人生そのもののスキルですね。
私たちの目標は、「価値ある選手と優れた人材の育成」です。プロになれるのは、ほんの数パーセントです。しかし、IDPを通じて培った「自分を客観視し、目標に向かって試行錯誤する力」は、将来どんな道に進んでも、その選手の人生を支える一生の財産になると信じています。サッカー選手として成功することはもちろん、一人の人間として豊かな人生を歩んでほしい。そのために、私たちは一人ひとりに寄り添い、その成長を伴走し続けていきます。
取材日:2026年6月16日
藤原氏の話から感じたのは、IDP・iDEPという仕組みの根底にある「人に向き合う育成」の姿勢でした。最先端のシステムを活用しながらも、その目的はあくまで、一人ひとりの成長を丁寧に見つめ、可能性を引き出すことにあります。プロになれる選手は限られています。しかし、IDPを通じて培われる「自分を客観視し、主体的に成長する力」は、競技の枠を超えて人生を支える力にもなる――そんな藤原氏の言葉が印象に残りました。
勝利を目指すだけでなく、一人の人間を育てるという視点を大切にするロアッソ熊本のアカデミー。その育成の取り組みは、これからも多くの選手の成長を支えていくことでしょう。