この度、プロサッカー選手として活躍し、現在は公益社団法人 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)フットボール本部 育成部で指導者育成および公益財団法人 日本サッカー協会(JFA)のJFAチューターとして活動する黄川田 賢司氏に、「個の育成」に特化したIDP(Individual Development Plan)についてお話を伺いました。日本における人材育成の現状と、IDPがもたらす可能性について深掘りしていきます。
── 黄川田さんのこれまでのキャリアと現在のご活動についてお聞かせください。
私は大学卒業後、コンサドーレ札幌と川崎フロンターレでプロサッカー選手として計7年間プレーしました。引退後は指導者、強化スカウト、クラブアドバイザー、そしてJリーグのアジア戦略におけるスポーツマーケティングなど、サッカーの現場に深く関わってきました。
現在は、Jリーグフットボール本部育成部で、アカデミー年代の選手や指導者の育成に携わっています。また、JFA(日本サッカー協会)のエリートユースAという、エリートユース育成に特化した指導者養成コースではJFAチューターも務めています。これらの活動を通じて、国内外の多くの育成現場に足を運び、日本における人材育成のあり方を模索する中で、「個の育成」の重要性を強く感じるようになりました。
サッカーだけでなく、スポーツ現場や教育現場における「人材育成」と「個別最適化」をテーマに、IDPの導入支援、コンサルティング、普及活動も同時に行っています。テニスやバスケットボールといった他競技への導入支援などもありますね。また、Jリーグが提供する選手教育プラットフォームがあるのですが、サッカー以外の「人間としての成長」を促す分野でもIDPの要素を組み込んでいます。
── IDPという概念に初めて出会ったのはいつ、どのようなきっかけだったのでしょうか?また、その時の率直な印象をお聞かせください。
IDPという考え方と真の意味で出会ったのは、2018年、Jリーグの指導者研修を企画する立場として、プレミアリーグの育成における第一人者であるテリー・ウェストリー氏を訪ねて、イーストロンドンにあるウェストハム・ユナイテッドを訪れた時でした。彼が当時アカデミーダイレクターを務めていたウェストハムで、アカデミー選手一人ひとりに向けた「IDP」の運用を見せてくれたのです。
そのIDPは、明確でありながら柔軟性があり、何よりも選手自身が自分の目標に主体的に取り組む姿勢を育んでいる点が印象的でした。まさに「これこそが“個の育成”の仕組みだ」と強く感じ、同時に、日本でもこのアプローチが今後より重要になると確信した瞬間でしたね。それまでも「IDP」という単語や「個別育成のツール」という認識はありましたが、その本質的なアプローチを理解したのはこの時が初めてです。
テリー氏とは2019年から5年間、Jリーグで共に仕事をしました。その間、彼のそばで育成の多くを学びながら、IDPを中核とした育成の仕組みを各クラブに浸透させていくことが私のミッションでした。今でも彼は私のメンターであり、友人であり、育成の師匠として連絡を取り合っています。
──IDPとは具体的にどのようなもので、どのような分野で活用できるのでしょうか?
IDPとは「Individual Development Plan」の略で、一人ひとりの選手・人材に合わせた目標設定、成長指標、アクションを可視化・共有する仕組みです。特徴的なのは、「画一的なトレーニング」ではなく、「一人ひとりにフォーカスした育成」が中心にあるという点です。
活用できる分野は非常に多様です。スポーツはもちろんのこと、教育現場や企業研修などでも活用が可能だと考えています。実際、私はサッカーを中心にしながらも、テニスやバスケットボール、さらには教育の領域でもIDPの導入を支援しています。企業であれば、社員一人ひとりの成長が組織全体の成長と発展に繋がるため、エリートビジネスマンにこそ活用してもらいたいですね。
──日本の現場にIDPの導入が必要とされる理由と、運用する上で大切にされている考え方、導入後の効果についても詳しく教えてください。
日本には「集団指導」の文化が根強いですが、グローバルスタンダードは「個別最適化」に完全にシフトしています。学校教育も同様で、これまでの世代は集団指導の中で育ってきていますが、現代の教育環境にアジャストしていくためには、IDPの導入がそのギャップを埋め、育成力を本質的に高めるアプローチだと考えています。
IDPを運用する上で最も大切なのは、「本人の主体性」を引き出すことです。大人が目標を決めるのではなく、本人が自らの成長にコミットすることが重要です。そのため、コーチやスタッフは、答えを与える「指導者」としてではなく、選手と共に考え、成長のプロセスを「伴走するメンター」としての役割が求められます。選手に対しては「オーナーは自分自身である」という意識と、指導者に対してはその伴走役になるよう伝えています。私たちは、技術面、戦術面、フィジカル面、そしてメンタル面を包括的に育成する考え方でIDPを組み込んでいます。技術が上手いだけでなく、人間として社会で通用する能力も育むことが重要だからです。
IDP導入後の効果としては、まず個人の目標と成長が可視化され、選手の主体性が生まれてきます。例えば、漠然とした「プロサッカー選手になる」「ワールドカップに出る」といった夢のような目標が、短・中・長期の具体的な目標設定とアクションプランへと落とし込まれることで、選手は自身の成長を実感しやすくなり、成功体験にも繋がります。また、組織としても、選手一人ひとりの成長記録が可視化されることで、コーチ間での情報共有が促進され、コミュニケーションの質が上がり、チーム力の底上げにもつながります。練習の目的が明確になり、生産性やモチベーションも向上します。
効果の実感には早ければ1ヶ月程度、最低でも3ヶ月で「変化の兆し」が見え始めますが、そのスピードと深度は、継続性と対話の質によって大きく変わってきます。
── IDPの普及活動をされる中で、現在どのような課題を感じていらっしゃいますか?
IDPの普及において、最も大きな課題の一つは、指導者側の意識のアップデートであると感じています。日本の子どもたちは、学校教育や家庭の中で、「こうしなさい」「ああしなさい」といった指示のもとで育つこともまだまだ多いかもしれませんが、そのような環境で規律や調和などを身につけていくのかもしれません。
その一方で、いざ「もっと自由に考えてごらん」「自分で判断して行動してみよう」と促されると、戸惑いを覚える選手も少なくありません。
海外の育成現場では、自由な発想や主体性が重視される一方で、規律やチームとしての秩序をどのように保つかが課題になることもあります。
日本の選手たちは規律を守る力に長けており、これは大きな強みです。だからこそ、その強みに加えて、主体性や自立的な思考を育む環境づくりが、これからの育成において重要になると考えています。
多くの指導者の方々も、これまでにIDPのような育成を自身が受けてこなかったため、「選手にどう寄り添えばよいのか分からない」と感じる場面が少なくないのが現状です。
さらに、指導者の数が限られていることや、選手数の多さから一人ひとりに十分に目を向ける時間が確保しづらいといった現実的な課題も存在します。そして、「日々の指導で精一杯で、新しい取り組みに時間を割く余裕がない」といった声も多く聞かれます。
IDPの運用に対しては、しばしば「朝練」や「居残り練習」のような“追加的な負担”として捉えられてしまうことがありますが、本来はそうではありません。
IDPの本質は、日常のトレーニングの中で選手一人ひとりの課題や目標に目を向け、適切に働きかけるための視点と仕組みです。それには、選手をよく観察し、個々の成長に応じた関わり方を実践するスキルや経験も求められます。
IDPは単なる「個別の計画」ではなく、育成における“活動文化”であり“チーム全体の共通理解”でもあると考えています。だからこそ、運用の仕方だけでなく、その意義や価値を丁寧に伝えていくことが大切です。
──IDP運用をしていく中で、 目標達成が難しい選手へのケアについてはいかがですか。
目標達成が難しい選手へのケアについては、「振り返り」のプロセスが最も重要だと考えています。定期的なレビュー、例えば6週間に1回程度のコーチとの面談を通じて、アクションプランの課題感や達成感について振り返ることを推奨しています。時には、目標を変更する必要も出てきます。育成年代には、年に2回程度の保護者も交えたIDP面談や、年に1度のクラブ関係者とのフィードバックの機会を設けることも推奨しています。例えば、プロを目指していた選手が、途中で大学進学に目標をシフトするといった目標の変更は少なくありません。大事なのは、メンターが選手に寄り添いながら、目標設定や計画変更のプロセスをサポートすることです。IDPがあるからこそ、感覚的ではなく、具体的なデータに基づいて成長を評価し、適切なサポートができるのです。
─ 弊社サービス「iDEP」はIDP運用においてどのようなメリットがありますでしょうか。
iDEPの登場は、IDP運用にとってまさに「革新」だと感じています。これまでExcelやPowerPoint、Word、手書きなどアナログで行っていた育成記録や進捗管理、面談記録などが、すべてクラウドベースで一元化されることで、圧倒的に便利かつ効率的になりますよね。特に指導現場では選手の情報がバラバラになりがちですが、iDEPを活用することで、選手一人ひとりに対する見立てや育成の方向性がクラブ内で共有されやすくなり、育成の質が向上することにつながることが期待されます。また、選手自身がアプリを通じて自分の目標や進捗を確認できる点も、主体性の醸成という意味で非常に効果的です。
iDEPには、指導者間で生じがちなバイアスを緩和する効果も期待できます。選手一人ひとりの進捗状況が、iDEP上で定量的なデータとして可視化されることで、思い込みや誤解が減少する可能性があります。
また、iDEPを単なる「管理ツール」としてではなく、「育成文化のプラットフォーム」として活用していくことができれば、日本における育成力の向上に大きく貢献できるのではないかと思います。
── 本日は大変貴重なお話をありがとうございました。
今回のインタビューを通して、黄川田氏が長年にわたり国内外のサッカー現場で培ってきた経験から、「個の育成」にかける深い情熱と、その具体的な仕組みとしてのIDPの重要性が強く伝わってきました。
IDPは単なる個人の目標設定ツールではなく、「画一的なトレーニング」から「一人ひとりにフォーカスした育成」へと日本の育成文化を本質的に高めるためのアプローチであるという黄川田氏の言葉は印象的でした。特に、IDPの運用において最も大切とされる「本人の主体性」を引き出すために、コーチやスタッフが「メンター」として選手に「伴走する」ことの重要性は、育成の未来を考える上で不可欠だと感じます。目先のパフォーマンスだけでなく、選手の将来的なポテンシャルを最大限に引き出すための、思考力や人間力といった包括的な成長を促すIDPの思想は、スポーツのみならず教育やビジネスの場にも通じる普遍的な価値を持つものでしょう。
黄川田氏の言葉の端々から、育成に対する真摯な姿勢と、選手一人ひとりの可能性を信じる強い思いが感じられました。IDPとiDEPが日本のスポーツ界、さらには社会全体の人材育成の一助となれるよう、我々も開発・サポートに尽力していきます。